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毎日風呂に入って偉い

『バチェロレッテ』恋愛対象の因数分解 (ネタバレあり)

 

 

初めて好きだと公言できる恋愛リアリティショーを見せてくれた『バチェロレッテ ジャパン』

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初代バチェロレッテ福田萌子さんの気配りと矜恃とセンスに満ちた作品で、(福田萌子さんのinstagramストーリーでBehind The Sceneが公開されています)第一話公開時から萌子さんを「天真爛漫で聡明な王」と讃え、触発されて筋トレをする等、全力で楽しませてもらいました。

 

↓これは最終回前の予言↓

 

 

常にマジレス、向き合う相手に全力投球の萌子さんが繰り出す質問に、自分ならどう答えるだろうかと思いを馳せることもありました。

 

その中でも、最終回に発せられたある一言に、足を取られました。

 

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最終回、ファイナルローズセレモニーに入場した杉田陽平さんと向き合い、ローズを渡せない理由として、

 

「女性として男性を見る目じゃない」

「すごく好きだけど恋人としてじゃない」

と涙ながらに述べました。

 

非常に言葉選びが鋭く的確な彼女の発言の中では、抽象的な部類に入ると思いますが、市井に溢れる言葉に変換すると、

 

・恋愛対象にならない

・男として見れない

 

になるんじゃないかなと思います。

圧倒的に男性より女性が良く言う体感のこの常套句って、具体性がなくて、どこをどうすれば解消できるかの手立てがない、なんとなく絶望的なチョイス。

 

ふわっとしてるのに残酷な言葉を、さも分かってるかのようにこれまで自分も使ってきたかもしれないけど、その内訳って何なのか実は全然わかってなかったことに気付きました。

 

常套句をもう少し直截な表現にすると、

・セックスが想像できない

・性的魅力を感じない

になると思いますが、

 

ここで思い出すのは、

「男にとって大半の女はいけるけど、

 女にとっては大半の男が無理」

みたいな言説。インターネットにたくさんあるから共感する人が多い証左になると思ってますが、

 

異性愛者の女性にとって大半の男性が無理なら、ごく少数の男性はあくまでも"無理じゃない"でしかない。

それは性欲が喚起されることと全くイコールではなくて、可能か不可能かのレベルの話です。可能と主体的に欲望を持つことには大きな隔たりがあります。

 

私は男性のパートナーがいて現状は異性愛者の自覚を持ってるけど、これまで生きてきて、男性の身体自体に欲情することって皆無なんですよ。それに鍛えてあるとか太っているとかの差異は一切なくて、あくまでも性欲というのは自分の内にある個人的なもので、むしろその支配者はホルモンのバイオリズムという意識があります。

 

他の女性のことはわからないし、あなたの性欲の支配権は何が持っていますか?って質問を他者にしたことはないので、一般化するつもりはさらさらありませんが、

「抱かれたいカラダ特集」は女による女のためのものだという実感もありません。

 

私はこれまで、性自認が女性の人の中には、レズビアンやパンセク、ズーなど、主体的に性指向を選択することが出来る人も存在すると学んできました。

強烈に自覚させられる場合もあれば、選択の余地がある場合もある。そのぐらい幅のあるものだと思っています。なので、これまで性指向を意識することなく生きることができた人は、意識していないという意味では暫定的異性愛者と捉えることもできる。

そこで、実在する他者を具体的に思い浮かべて「この人とセックスできるor無理」の判断をする場面って、もしかしたらその場面こそが性指向の発露、萌芽なのでは?

 

異性愛者・同性愛者って括りがすごく雑だから意識できないだけで、性愛の対象って人によって範囲が違うし、そのことに自覚的かどうかでパートナー探しの精度って変わってくるんじゃないかなと思いました。

 

 

結局バチェロレッテの話ぜんぜんしてないけど、気が向いた人はコメントであなたの性欲の支配者を教えてください。

 

今日はこれで終わり。